異に陥ることを歎く
今日は振休の前取り。
ここんところ気温が急に下がったせいか、変化についていけず身体がダルビッシュ。
- 作者: 唯円,親鸞,川村湊
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2009/09/01
- メディア: 文庫
- 購入: 1人 クリック: 22回
- この商品を含むブログ (13件) を見る
親鸞と言えば「悪人正機」が有名。
かつて無駄にストイックだった純情息子時代、
『善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや』
の一説を以ってその考えに嫌気が差してしまったものですが、これ、「悪人」の意味が違ったのですな。
そもそも此処で言う善悪の基準は、法や倫理ではなく、"仏"に拠るものなのだそうです。
となれば、"仏"の言葉を聞く事ができる人間がいない限りは、誰にもその基準は立証し得ない。
ってこたぁ、人間が多少なりとも俗欲を持つ者である前提に立てば、「善人」は存在しない。
だからここでは全員「悪人」なんです。
つまり、「悪人でも救われる」ということの本意は、
"どうしようもないと思った瞬間があっても、「南無阿弥陀仏」って言ってれば救われるのよん"
ってこと(たぶん)。
この教えは、しばしば「進んで悪事していいんだ」という大義名分の対象になってしまうそうなのですが、
これは親鸞本人も嘆かわしいことだと言っているようです。
ふむふむ。
それでもなんか、肩が軽くなる考えのような気がした。
「みんな悪人でしょ?」
って言われると、
「あ、俺もこれでいいのかな」
って思えちゃう。
また、こんなことも書いてました。
"念仏とは、作為性を以って行うものじゃない。それはなんとも呼べないし、説明もできないし、考えたりするもんでもない。"
俺は走るのが昔から大嫌い(でも多少速かった)だったんだけど、
それは「どうやったら早くなるか」とか「どうやったら苦しくなくなるか」とかしか考えてなかったからなんだなと思えた。
"走った結果、速かった"
これには因果が存在する。
厳しいトレーニング→速かった
"走った結果、楽しかった"
これに因果なんて存在しない。
人生楽しむコツもここにあんだよね、たぶん。
それを自然(じねん)に任せてしまったら、楽しめない場合どうすりゃいいの!って、また因果論に落ちちゃうんだろうけど…。
そう考えると、自然(じねん)でいける人と因果でいくしかない人に分かれちゃうのかしら。。。
だとしたらそれは悲しい差かもしれん。
今日もCD借りてきた。
- アーティスト: ザ・ストーン・ローゼズ
- 出版社/メーカー: (株)ソニー・ミュージックレーベルズ
- 発売日: 1997/05/01
- メディア: CD
- 購入: 1人 クリック: 38回
- この商品を含むブログ (73件) を見る
- アーティスト: Stereolab
- 出版社/メーカー: Elektra / Wea
- 発売日: 1996/03/11
- メディア: CD
- クリック: 8回
- この商品を含むブログ (37件) を見る