いくつになってもあまえんぼー

チームビルディングにおいて大事なのは、甘え、期待、優しさを排除することだと考えている。


いずれも役割分担に溝を生むリスクを孕んでいるからだ。


例えば甘えや期待は他人に依存する感情で、依存/被依存関係が暗黙のツーカーの関係で成立しているなら良いけれど、それは女王様と下僕のように、SとMの相互依存関係レベルのものでない限り成り立ち難い。
大抵は胸に秘めた片思いであり、できれば告白せず、ばれないように思い続けていたいと考えている。そう思い続けることで、他人への依存を常としたいと考えている。


優しさは反対に、他人が自分に依存することを期待する感情だ。これはこれで相手の役割を奪いに行く行動で、チームビルディングとしては役割分担を不透明にする行動だ。


前者については一般的に悪しきイメージがあるので、世間体という制御が効きやすいから良いのだが、問題は後者だ。世間一般、優しさは美徳と称されているから、本人が後ろめたさを感じることがない。


優しさとは儒教で言う「仁」だが、やはり敬愛する伊達政宗がこれについて語っている。


仁に過ぎれば弱くなる。
義に過ぎれば固くなる。


と。
彼は戦国武将だから、これは一国の主として国を統治する立場において語られたもので、今回この文章で語っているビジネスの場面での文脈に近い。(儒教は家族道徳だから、家族における「仁」の大事さしか語っていないはず。ただ伊達政宗は実父を自ら討たねばならなかったり、実母に毒を盛られたりしたから、家族道徳的なものも含めて語ってたかもしれない)



ビジネスにおいては優しさが仇となることが多い。これは温厚すぎてメガネがとろけるくらいの自分に第二の人格を与える結果になった。


仕事が楽しいなんて口が滑っても言えない自分がゼニっこ稼ぐには、行き帰りの電車でメタモルフォーゼ(変体)するしかないのだ。そして、メタモルフォーゼ(変態)した自分だから、大抵のことはリアリティ感じずに冗談で受け流すし、ヘラヘラ笑ってられるのだ。


つまり、まとめると、仁義より前戯、である。