私は鬼になりたい
喪中の為、新年のご挨拶は控えさせていただきます。
お便りいただいた方、事前に連絡できず申し訳ありませんでした。
今年一発目は不本意ですが仕事の話です。昨年末は説教して終わったのですが、今年も説教から始まってしまいましたので、なんか書かずにもいられず。
別に偉くもないし説教なんてまっぴらしたくないが、そうしないとどうもこうもならんのでするしかない。本当は温厚メガネなのに。M野郎なのに。
説教する方もストレスたまるだよ。とかいいつつSが萌芽しつつもあることも隠し得ぬ事実であるが、その芽は摘むようにしておる。
詰めすぎると人間ふにゃふにゃになっちゃうし、そこまでしたら人間否定になってしまう。
あくまで仕事として、個人の仕事に対して、期待する役割とその実の需給ギャップについて詰めてるだけ。
と割り切っても、やっぱ人を怒るのは性に合わないなぁ。
嗚呼、私は新おにぃ(byガキ使)、もとい鬼になりたい。そしたら心厭わずに説教垂れれるだろうのに。
嗚呼…。
ただ説教すると相手の人間性も見えるものだ。中には需給ギャップを解消しようと努めてくれる人がいる。
供給が足りないと改善する場合と、需要自体の誤りを整然と指摘する場合の2パターンがあるけど、これはどっちも正しい。
ギャップがあることを互いに認識できれば次に進めるからだ。
今困っているのは、ギャップを認識できずに「できる」と言っちゃうケース。
おまんは営業か、このべこのかあめ
需給ギャップが理解できないことは、「できない」ことが理解できていないと同義。
さらに大抵この時、何が分からないかすら分かっていない状態であることが多し。
安西ひろこ、もとい先生は言いました。
「下手くそのナンチャラは、己が下手さを知りてナンチャラ」
まずはべこのかあであることを知ることが第1歩じゃき。
と偉そうに言いましたが、最近の口癖が「できません」の私が一番バカです。