パワースポット巡り11〜斎場御獄、久高島
夏休みをとって沖縄へ行ってきました。
4年前本島の観光を大分したので、今回は石垣島へ行こうという話もあったのですが、
歳も歳ですので寺院仏閣を巡るのをメインに据えて出かけることに。
久高島はココ↓です。
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久高島は最近パワースポットブームにのって注目され始めています。
自分もその一人なのですが、その後無意識的に触れた岡本太郎(祭りからの視点)や吉本隆明(『共同幻想論』で母系社会を論じる)が惹かれていったことが分かりました。こういうことで運命付けるのは愚直な発言なのかもしれませんが、行こうと思ったのも必然なのかもしれません。
琉球王国(今の沖縄)は、本土で言う江戸時代まで男性が王として政(まつりごと)をし、
女性が神女として祈りをささげるという管理体制をしいていたのだそうです。
首里城に住む神女のトップを「聞得大君」といったそうで、彼女の即位式が行われるのが「斎場御獄」だったそうです。
久高島は、琉球王国時代、国王と聞得大君(国の政と祭のトップですな)が遙拝していた、神の島です。
というのも、久高島には琉球の創世神が降り立ったという逸話が残っているのです。
wikipediaからの引用はこれくらいにして^^;
島へは、本島からフェリーで20分ほどで着きました。
今回はツアーということで、ガイドさん付。現地の方です。
良く見ると、畑が小石で区切られています。
これは、「地割制度」と言って、自治体が人々に平等に土地を分け与える制度なのだそうです。
なんと、未だにそんな考え方が残っているとは。
1周4キロ、人口200人あまりの島で、顔が見えるギリギリの範囲の共同体だからこそ暗黙のルールがあり、それが成り立たせる平等性なのかもね。
ここは島内2番目の聖域で、祭事の時以外は入れるのだとか。
確かに、祭事の写真にはこの浜のような写真が写っています。
この浜は東方面なので、ニライカナイ(琉球で信じられている、東にある「理想郷」のようなもの)の方面です。
この日はちょうど地平線の彼方が雲に覆われていたので、その先に何かありそうな気がしておじさんとても興奮!
ここがさっき書いた創世神が降り立った場所。
ここは島内1の聖域。
「御獄」とは「うたき」と読むのだけれど、祈りをささげる場所のようなものです。
本土で言う神社みたいなもの。でも鳥居や社はまったくなく、全て自然のままできたものです。
昔は男子禁制だったのだけれど、今は何人たりとも立ち入り禁止。
人々に知られるようになってから、一般人の侵入が絶えなかったため厳しくしたのだそうです。
実はこれほど荘厳な場所なのに、この看板と他の2つの看板以外に立ち入りを禁ずるものが何もない。
本土で立ち入りを禁ずる場合は有刺鉄線を張ったり柵で囲ったりするものだけれど。
人の善意に任せているのだろうか。
男子禁制から一切禁止までルールを厳格にしているのだからそんなことはないでしょう。
勝手な推測だけど、自然崇拝である以上、
何かで囲むと言うことが許されないからのような気がしました。
あとは単純に金がないとか(笑
ガイドさんの話を聞いていると、本当に厳しいしきたりのようです。
それまでは我々本土の人が南国の人に対して抱く温厚で陽気なイメージどおりの人だったのですが、
この場に来たときだけは口調が変わりました。
小さい頃、自分の住む団地の外に出てはいけないと言われたことを思い出しました。
自分が住む団地は高台にあったので、ちょうどこの島が海で囲まれ他の土地と断絶されていたように、坂で断絶されていたのです。
自動販売機もいつしか消え、或る意味陸の孤島でした。
そんな訓戒はあっさりと自転車を乗りこなすことにより破られていく訳ですが、
この聖域は、島民の神様へのモラルだけで守られています。
守るというのは人間の意思だけで十分できるものなのだと、何か痛烈なものを感じました。
良く考えると日本は島だということを思い出しました。
『大は小を兼ねる』
という言葉を、大都市や大企業に身を置く立場を正当化するために良く使うし、信じてもいるのですが、
日本全体とこの島の関係に限っては成立しえない考えだなと思いました。
むしろ小の方が人を惹きつけてやまないのではないかと、そんな想いに駆られました。
でもきっとそれは一瞬の出来事。
いつかのブログで書いたように、中コミュニティたる会社の職場を離れ、
大都市の電車の車内という雑踏の中で感じるアイデンティティの喪失の心地良さは、それはそれでこの島では感じえないことなのでしょう。
たまに触れるからいい。それが答えの場所。
それが答えである以上、いくら惹かれたとしても、そのコミュニティの一員として生きていくことは成り難し。
所詮利用者以上にはならない。
であれば、利用者として惹かれるのであれば、せめてそれが壊れないよう痕跡を残さないとか、変わらないよう祈るとか、寄付をするとか。
それが行うべきことなんだろうなぁ。