『agaetis byrjun』(sigur ros)

大学時代に聴いた中で1、2を争うくらい耳に残った曲だ。未だに眠るときはたまに聴く。そして大変効く。


最近の民族回帰的な音長も嫌いではないけれど、やはり根暗な私としてはドスっとした音長の方がググッときてしまう。


これは確か自分らで言葉を創って作詩をしたはず。
そんなこと考える人は他には絶対いない。


創った以上は何かしら意味があるのだろうけど、聞く方からすると意味不明。すでにただのハミングと化している。


あえて言おう。

お前はもうハミングと化している!!


と。


でもなぜかしっくりくる。
描写や表現にコトバを使うと、よくも悪くも
発信、受信それぞれのプロセスで汎化される。
もしかしたら届く頃には陳腐化されてるかもしれない。


そこを陳腐化させないのが優れた詩なのだろうけど、やっぱそれは汎化された範囲内でしかありえない。

汎化された中での共感は、
個々人の経験の範囲に対してしか響かない。
それは過去に向けてのメッセージであることと同義。


経験の中から共感作用でもって楽しむのものもいいけれど、
経験の範囲外で何故か共鳴する、
そんな未来に向けた喜びもあるのだと気付かせてくれた曲。


ただ、暗い。